Chimpanzee the 38 Parallelの日記

読書感想駄文録。あ、プロフィール写真はボノボです。

第3冊目:日本統治下の朝鮮

 

 

第3冊目は『日本統治下の朝鮮―統計と実証研究は何を語るか―』(木村光彦著)

 

 はじめに

 本書は、青山学院大学教授で経済学者である著者が、収奪一辺倒だったと語られることが多い日本統治下の朝鮮半島について、様々なデータや資料を用いて、統治期の朝鮮の姿を説明しようという目的で書かれた本だ。

つまり、善・悪という議論ではなく統計から見た場合の朝鮮の姿を説明しようという試みである。

※当時の日本の方が朝鮮より進んでいたから良い・凄いということを著者が言いたいわけではないことを念のために付言しておく。

 

本書の構成

第1章で併合当時の状況を概説し、第2章では近代産業がどのように発展したかについて、「非農業への急速な移行」過程を見ながら説明している。そして第3章では、実際に朝鮮人は収奪によって「貧困化」したか否かについて、個人消費、平均身長の変化等を基に分析している。第4章では、「戦時経済の急展開」として、総力戦期における軍需工業化や戦争経済について述べている。第5章では、終戦に伴い放棄された日本資産がどのように継承されたかについて記述し、終章で「朝鮮統治から日本は何を得たのか」について述べている。

 

 

 1910年の朝鮮の状況

日本による併合当時の朝鮮は人口が1500万~1600万人。

1910年の総督府統計では、朝鮮の全戸口の80%を農業戸口が占めた。(中略)日本では1870年代初期、全有業人口にたいする農林業人口比は70%程度であり、前記データは、併合当時の朝鮮経済が日本の明治初期以上に農業に依存していたことを示唆する。(P6-7)

ということで、当時の朝鮮は経済構造において農業依存率が非常に高かったことがわかる。

 

 

悪名高き土地調査事業

さらに、当時の朝鮮は土地の所有権があいまいだったから、租税徴収もお粗末な状況だった。そこで総督府は、土地の所有権を確定させることによって地税の徴収を行えるようにすることを目的として、「土地調査事業」を開始する。これは、総督府の財政を自立させるために最優先で取り組まなければならなかった。

 

この土地調査事業は韓国では悪名高い事業だ。なぜなら、本事業の過程で多くの農民が土地を失い小作農に転落したと言われているからだ。それに対して著者は、李榮薫(『反日種族主義』の著者)の研究を引用しながら、以下のように述べている。

しかし、近年の研究は、農民多数が土地を喪失したという事実はなく、この主張が誤りであることを明らかにしている(李榮薫『大韓民国の物語』79-85頁)。

土地調査は、私有財産制度のもとで経済成長を図ろうとすれば、どのような政府にとっても必須の事業である。総督府が多大な費用と時間をかけてこれを遂行したことは、評価しなければならない。(P41)

 そして、土地収奪が行われたかのように述べられることが多いが、実際は、

1920年頃でも、内地人地主の所有田は、全朝鮮の田面積のせいぜい一割にすぎない。(P50)

 ということであったらしい。ただし、本調査事業が終了したのは1918年なので、1920年よりもう少し後の内地人と朝鮮人の土地所有状況も見た方がよかったのでは、と個人的には思う。

 

非農業主体の経済へ

米の生産

非農業へ移る前に、総督府は農業生産の増大を図るために様々な政策を打ち出している。米の生産についていえば、土地生産性の上昇と作付面積の拡大を通じて、併合初期から比較して1937年には米の生産量が80%以上の増加を記録している。(P48)

 

工場数と規模

非農業への急速な移行の一つとして、実際に朝鮮人によって設立された工場数について見てみる。( )内は内地人工場数

1912年:94(204)

1932年:2502(2041)

 1939年:3919(2546)  (P83より)

このように、朝鮮人工場数の方が上回っていた。ただし、朝鮮人工場の規模で見た場合、従業員50人未満の零細工場が総工場数に占める割合は95.2%(内地人零細工場の場合は80.1%)であり、規模が大きい工場は内地人工場の方が多かったことは注意すべきである。

 

著者は、貨幣経済の進展と農業生産の継続的増大、そして中小企業の勃興による工業化の進展などを挙げながら、朝鮮の発展が比較経済史の観点から見て特異なものだったとし、以下のように述べている。

工業化の進展は、欧米の植民地にはない特異なものであった。特に本国にも存在しない巨大水力発電所やそれに依拠する大規模工場群の建設は、日本の朝鮮統治と欧米の植民地統治の違いを際立たせる。ここでとりわけ強調すべきは、産業発展に被統治者の朝鮮人が広く関与したことである。(中略)朝鮮人の側に、外部刺激にたいする前向きな反応、自発的な模倣・学習、さらには創発性・企業者精神が明瞭にみられた。驚異的な発展は、統治側・被統治側の双方の力が結合して起こったのである。(P85)

 つまり、農業生産額の継続的な増大と工場数の増加などは、内地人だけで達成し得るものではなく、虐げられていたといわれる朝鮮人も積極的に参加しなければ成し得ないことだったというわけだ。この点で、韓国でよく言われる収奪一辺倒の隷属論的な言説は実像を見ていないといえる。

 

「貧困化」説の検証

次に問題となるのが分配の問題である。すなわち、いくら経済が発展しようと発展の結果生み出された富が適切に分配されなければ、それは当時の朝鮮の実際の姿を映しているとはいえない。

韓国における「収奪一辺倒の統治」の言説により、「統治期の民衆は貧困にあえいでいた」というイメージが韓国にはある。そこで著者は、米の消費量と平均身長の変化等を年代ごとに分けて比較することで、実際の生活状況が悪化し、「貧困化」したのかどうか検証している。

 

食料消費量は激減したのか?

統治期を通じて米の生産は増大したが、内地に向けて移出されたので朝鮮人の米の消費量は増えることはなく、むしろ激減したと言われている。それに対し著者は、金洛年の研究(『植民地期朝鮮の国民経済計算 1910-1945』、P570、P222)を引用しながら、以下のように述べている。

一人当たり米消費量(単位/石)

1915-19年(0.589)

1930-33年(0.556)

1934-36年(0.511)

1937-40年(0.555)

このように、一人当たり米消費量は減少したとはいえ、その程度はわずかにすぎない。同じ研究によれば、1910~40年間、米と麦・雑穀・豆類を合計した全穀物の一人当たり消費量はやや減少傾向にあったが、これにイモ類、野菜類、肉・魚介類などをくわえると、一人当たりカロリー消費量はほとんど減少しなかった。(P93、数値は見やすいように筆者作成)

( ※カロリー消費量じゃなくて、摂取量の間違いなんじゃないかな...)

また、著者は個人消費から見ても「貧困化」は生じていないと主張する。

1910年代から30年代を通じ、個人消費総額(実質)は年平均3%以上の率で増加した。人口成長率はこれ以下であったから、一人あたり消費額は増加した。(P94)

ただし、著者は同時に、生活水準の量的変化だけでなく質にも留意すべきとも述べている。(経済学の効用の観点から)

 

身長からみる生活水準の変化

次に、著者は平均身長の変化から「貧困化」したか否かを検証している。なぜ身長かというと、同一の集団内で平均身長に世代間格差があれば、それはつまり、その差が生活水準の変化を意味するからだ。換言すれば、ある世代の平均身長が下がっていれば、その世代の成長期において生活水準が悪化したことを意味する。では、統治期の朝鮮ではどうであったか。

各データから判明するのは、階層間、地域間で身長に差があったこと、反面、時期、世代による明瞭な差はなかった。(P103)

著者は身長に関する様々なデータを比較・分析しながら、このように主張している。

そして別の研究を用いながら、以下のように結論づけている。

日本統治期を通じた朝鮮人平均身長の全般的低下は確認されていない。(朱益鍾「植民地期朝鮮人の生活水準」P340)(P105)

 

このように、身長に基づいて生活水準の変化を考察した場合、時期と世代間で平均身長に差がないので、飢餓に置かれるような貧困状況だったとはいえない。つまり、統治期において朝鮮人が収奪に苦しみ「貧困化」したという主張は、実際の統計に基づいていないということだ。

 

 戦時経済の急展開

日本統治期の朝鮮を平時と戦時を分けずに見ることは、平時と戦時で状況が全く違うのでナンセンスだ。

内地で総力戦体制が構築されるのに伴い、戦時期(日中戦争開始以降)は朝鮮でも総力戦体制への移行を余儀なくされた。

総督府の指示の下で生産活動における徹底した効率化と一元化・組織化があらゆる分野で進められたが、農業について言えば、労働意欲の低下や資材不足により農業生産は大きく低下した。

 同時に、工業統制と労務統制が行われ、朝鮮半島は戦時体制が整えられていく。そして総力戦期に突入するにしたがい、朝鮮における産業構造は軍需工業化されていく。

 

この時期、北朝鮮地域には良質な石炭・鉄鉱石、希少金属等の地下資源が存在したことから、特に北朝鮮地域で鉱工業などの重化学工業が発展する。大量の資本投入と新規労働投入により産業発展が成されたが、結局、資材不足等により増産は困難となる。

 

戦争遂行に不可欠な資源が多く眠っており、それを活用する必要性から、朝鮮半島は総力戦の遂行過程において不可欠な領域となったと著者は述べている。(P163)

 

北朝鮮に多く残された遺産

著者は第5章で南北の工業化の違いに関し、電力消費量に基づく44年時点の南北地域比較を行っており、差が顕著でおもしろかったので、以下引用する。( )内は筆者が追記。

(産業別電力消費量の)90%は北朝鮮で消費されている。そのうち化学工業が80%を占めた。南が北より多かった部門は、紡績工業、機械器具工業、食料品工業である。しかしこれら三部門の消費量を合計しても、北の金属工業一部門に及ばない。このように北朝鮮は重化学工業で南朝鮮を完全に圧倒していた。(P175)

朝鮮半島では米軍の空爆がなかったので、多くの産業遺産は無傷のまま残った。現在の南北の経済発展の差からは隔世の感があるが、当時はこのぐらい、南北で工業化の地域格差が激しかった。

 

終章

政府負担は大きかったか

巷ではよく、莫大な投資を行って朝鮮を統治したと言われるが、実際はどうだったのか。これについて著者は、以下のように述べている。( )は筆者が追記

日本政府の一般会計歳出総額に占める総督府特別会計(=朝鮮統治の一費用)の割合を確認すると、1910年代前半が3.5%と最高で、その後は、20年代・2%、30年代後半・0.4%と低下する。このように、日本政府にとって朝鮮統治の財政負担割合は、後期にはとるに足りない値になった。(P200)

 このように全体との比較で見れば、一般会計歳出総額に占める朝鮮統治コストはイメージされているよりも大きくないことがわかる。

 

そして著者は、日本の朝鮮統治におけるコストについて以下のように結論づけている。

総合的に見れば、日本は朝鮮を、比較的低コストで巧みに統治したといえよう。巧みに、というのは、治安の維持に成功するとともに経済成長(近代化と言い換えてもよい)を促進したからである。(P202)

 

感想

本書を読んだ感想としては、改めて統計データから見たものと今まで漠然と持っていたイメージの違いの大きさかな。

例えば、「産米増殖計画*1によって半島で米を大量増産して、日本に移出させた!日本は朝鮮半島を食糧庫として利用して朝鮮人のことを搾取した!」という主張もあるけど、実際の米の消費量を見てみると必ずしもそういうわけではなかったこととか。(このあたりの収奪の有無に関する議論については、韓国語の書籍も紹介・使用しながら、詳細に比較した記事を書いてみたいと思っている)

 

あと、収奪の有無について、平均身長から見たのはおもしろかった。もしかしたら有名な考察方法なのかもしれないけど、私は知らなかったからこれは勉強になった。確かに収奪一辺倒だと栄養状態が悪くなって必然的に平均身長が下がるはずだもんね。

 

ちなみに著者は曰く、欧米の史学界では、身長の変化を見ることで当時の生活水準の時代的変化を分析する方法が盛んに行われているらしい。(P97)

 

韓国(人)との議論でこのような話になって、もし「収奪一辺倒で塗炭の苦しみを味わった!搾取だった!」というような主張がなされた際には、「日韓併合によって朝鮮は近代化できた→これは良いことだった」と言うのではなくて、あくまで、「日韓併合の是非は一先ず脇に置いといて、一般論としてこのような変化がありましたよ、これは事実ですよね」っていうところで議論してみてはどうだろうか。とも思った。

事実から乖離して誇張された歴史認識が広がることになることは看過できないからね。(ただ、このように言うと大抵、肯定するのか!反省していないのか!って言われるのが関の山なので難しい...)

 

それでも、本書のように統計に基づいてしっかり実証しようという姿勢は非常に大切だと思うし、こうした検証は継続されていくことを願う。

 

日韓共にイメージで語りがちな日本統治期の朝鮮半島だけど、本書はそういったイメージを持っている人にこそ読んでほしい一冊!(ただ、各産業別にどこの地域でどの企業がいくら投資をしたっていう話が結構長く続いた(第4章)箇所は疲れました正直(笑)。それと新書だからある程度はしょうがないけど、議論を提起したかと思えば、「詳細は論じない」っていうような論点もあったのが、少し残念。そこに踏み込んでほしいのに!というモヤモヤは正直拭えない。

 

が、全体的には勉強になるしおもしろかったです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:1920年に総督府が制令として出した計画で、朝鮮半島における米需要に備え、農家の経済向上と内地の食糧問題解決を目的とした計画