Chimpanzee the 38 Parallelの日記

読書感想駄文録。あ、プロフィール写真はボノボです。

第4冊目(2):『和解のために―教科書・慰安婦・靖国・独島』(朴裕河著)

 

 

第4冊目『和解のために―教科書・慰安婦・靖国・独島』(朴裕河著

第二章「慰安婦」―「責任」は誰にあるのか

第2章は慰安婦問題についてです。

 

(*全部読んだんですけど、1章(教科書問題)まとめる前に2章書き始めてしまったので、2章を先に投稿することになりました。)

 

とうとう来ました慰安婦問題。著者の朴裕河氏は、日本でも一時期話題になった『帝国の慰安婦』を書いた学者の方で、こちらの本も既に読んだ(約5年前)ので、また後日記事にしようと思います。

 

著者の主張の要約

まずはじめに、現在まで続く慰安婦問題に関し、日韓の和解を阻む問題は何か?何がこの問題をこんなに複雑にしているのか?

著者の主張をまとめると、以下のとおりだ。

  • 強制性の有無というより、むしろ当時の家父長制と植民地支配がそもそもの根源。よって、日本に責任があるといえる。
  • 元慰安婦を支援するはずの団体が原理主義化し、日本政府の対応に対して全く理解を示そうとせず、さらには、元慰安婦が日本からの「償い金」を受け取るという選択の余地を殺した支援団体側の固執と無理解
  • 当時の朝鮮半島内には親が娘を業者に売ることがあったし、仲介業者に朝鮮人もいたし、慰安所を利用した朝鮮人もいた。その点で韓国自身の責任はないのか?(著者のこの論点は『帝国の慰安婦』でも論じられている)
  • 韓国内での元慰安婦に対する差別意識(広く性産業に対しても)

 

 (ただし、本書は2006年に書かれたものに若干の増補を加え2011年に出版されたものであり、第2章では河野談話~2005年頃の慰安婦問題の経過について、アジア女性基金を巡る議論の分析が中心なので、慰安婦問題そのものというよりかは、慰安婦問題解決のために行った支援事業が議論の中心である。その点、ご留意願いたい。)

 

著者の視点:家父長制と植民地支配

では、慰安婦問題を巡る日韓の対立とはそもそもなぜ発生しているのか。

慰安婦問題というと、日韓両政府の主張の隔たりはさることながら日韓の市民の間でも相当意見が分かれる問題であり、日本人からしてみると、「いつまでこの問題を続けるんだ」という感じで見ている人も多いかと思う。

 

この問題に関して、論点としてよく挙げられるのが強制性の有無とそれに伴う日本の加害責任の有無についてだ。

日韓双方の主張・意見を簡単に列挙すると、だいたい以下のようなものが挙げられるだろう(相当ざっくりと分けたが、あくまで対立構造を示すものとして、そこはご容赦願いたい。)。

 

【日本の保守派/右翼ならびに韓国の一部学者】

  • 強制性はなかった
  • 軍や官憲が拉致したというような証拠はない
  • 現代でいう売春と同じで給料も貰っていたのに、何をいまさら
  • そもそも日韓請求権・経済協力協定で完全かつ最終的に解決済み(第2条)

→日本に責任はなく、謝罪する必要もない(日本政府は「慰安婦」に対する責任を否定していない。)。

 

【韓国での支配的な意見及び日本の進歩/左派】

  • 20万人の朝鮮人女性が強制的に連行された
  • 給料はろくに貰えず、搾取されていた
  • 慰安婦として強制的に働かされ、逃げ出すこともできなかった
  • 日韓請求権・経済協力協定締結時には慰安婦問題は問題として議論されていなかったから、この問題は請求権協定で解決した問題ではない

→日本政府は元慰安婦に対して法的責任を負うべき

 

ざっとこんなものだろう。

さて、上記のような論点が大勢を占めるが、著者の主張を理解する上でのキーワードが家父長制だ。

 

著者の主張として非常に興味深い点は、上記のような強制性の有無からではなく、むしろ、家父長制と植民地支配の観点から、日本の責任および当時の朝鮮半島内の人々の責任について述べている点だ。慰安婦がたとえ自由意志で慰安婦になったのだとしても、そこには家父長制に基づく社会構造があり、それがそもそも問題だったとする。

(自由意志で慰安婦になったのだとしても)女性は国家と男性に奉仕すべきものであるとされる、家父長制構造の内でのことだ。慰安所が「公認された」場所であり、「合法的」だったとする彼らの主張は、その「法」が国家と軍のつくった男性のための「法」であったという事実を隠蔽している。(P90)

   また、著者はこうも述べる。

 

彼女たちが、ほかでもない日本の植民地体制下で「戦争」遂行のための道具となった以上、「日本軍慰安婦」とは植民地化の産物であるといわざるをえないのだ。たとえある日突然「強制的に引っ張られて行った」のではないにしても、「慰安婦」問題は依然として「植民地支配」の責任問題として残るのである。(P91)

 

つまり、[戦争遂行→兵隊の士気向上の必要性→兵站としての慰安所設置→「慰安婦」の募集]という構造があったので、これは兵士と同様、戦争行為に加担させられたという点において、国家が「慰安婦」に対して補償を行う必要があるという論理である。

 

 

日本政府の償い案:アジア女性基金

では、日本政府は何もしてこなかったのだろうか?答えはノーだ。そこで議論は、日本政府が設立したアジア女性基金に移る。

 

アジア女性基金とは、「女性のためのアジア平和国民基金」のことである。平たく言うと、河野談話(93年)で「心からのお詫びと反省の気持ち」と表明し、94年に「戦後50年問題プロジェクト」の一環として「償い」を体現するために、日本の政府と民間がお金を出して、「元慰安婦」に対して「償い」を行う、という目的で設立された基金だ。さらにこれには「総理の手紙」も添えられることになった。

 

しかし、これは韓国では国家の責任回避のためのものと理解され、趣旨が理解されることはなかったと著者は述べる。

実際には、表面上は民間基金という形ではあったものの、政府関係者も関わり、募金が不足する場合には「政府が責任をもつ」という点で、日本政府の真摯な姿勢が見て取れる。

 

ここの経緯について著者は以下のように述べる。

償い金を手渡す際には首相の手紙を添えるとされたが、これは和田春樹をはじめとする知識人の要請を政府が受け入れたことで、はじめて可能になったという。いわばこの基金は、「国家」が主体となる「補償」は韓日協定によっていったんなされたため不可能であるとする政府を、民間人が説得にあたり、政府も参加させる方式へと動かしていくなかで成立をみた基金だったのである。(P95)

ということは、日韓請求権協定に基づいて完全かつ最終的に解決済みという日本政府の立場を考慮すると、アジア女性基金は非常に画期的なものだったといえるだろう。

 

しかし、「償い金」は国民の募金から拠出し、政府からは「医療福祉支援事業」に拠出するとしたことが裏目に出た。なぜなら、政府からの法的な補償ではないために国家補償の意味を持たないとして、韓国側の超圧力支援団体である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)から大きな反発を受けることなったからだ。

 

この補償の形態については、日本国内からも批判の声が出る。つまり、拠出が国会を通したものではないことから、手紙を出してもそれは表面的であり、道義的責任ではなく法的責任をとれというものだった。

これに対し著者は、ドイツのブラント首相がユダヤ人慰霊碑の前でひざまずいた行為を引き合いに出しながら、以下のように評価する。

もとよりこれらの批判は、日本人による徹底的な自己批判として、敬意を表すべきものであった。(中略)だが政治と外交は、形式と儀礼的パフォーマンスによって成り立っている。そう考えれば、日本政府の最高権力者が署名した「お詫びの手紙」という「形式」の存在は、無視できないのではないか。(P103~104)

 

としながらも、基金を巡る日本政府の対応について、以下のように結論付けている。

*( )内は筆者注

(日韓請求権協定と国内政治上の限界も考慮した上で)「次善の策」として「国民基金」をスタートさせたのであれば、そのなかにあっても「道義的」レベルの「福祉」という形に逃避するのではなく、堂々と「国家」もともに補償すると言明し、参与していたならばよかっただろう。そしてそうであったなら、おそらく日本は、出資金額以上の政治的効果をも収められたに違いない。そのような意味では、国会の同意のかわりに「国民基金」を設立した1995年の選択はやはり十分なものだったとはいいがたい。(P104~105)

 確かに理解できないわけでもないが、やはり国内政治的な障害が大きく無理だったであろう。そこを押し通そうとするとそもそも基金の方式が瓦解していたと思う。

 

韓国側の受け止めに問題はなかったのか?

ここまで読んだ感じでは、日本政府が相手の気持ちも推し量らず勝手に滑った感がある。しかし、著者は基金を巡っては、韓国側にも問題があったと主張する。

 それは大きく分けると以下だ。

  • 元「慰安婦」が償い金を受け取るにあたっての意志を尊重しなかった点
  • 元「慰安婦」のおばあさんに最も寄り添うべき支援団体が、自己の目的を達成することに固執したこと
  • 韓国内の歪んだ日本観

 

この基金が始まった際、韓国では「カネでけりをつけようとしている」とか、「懐柔策」などと叩かれる。そして、市民連帯が発足して募金を開始するのだが、日本から国民基金を受け取ったおばあさんは対象から除外されてしまった。さらに、韓国政府と挺対協が支援金を支給したときも、韓国政府は元慰安婦に対して日本政府からのカネを受け取らないことを誓約させたのである。

 

これに対して著者は、韓国政府と挺体協の行為について以下のように問題点を指摘する。

「慰安婦」個人の意思を被害者支援団体という名のもとに統制し、韓国政府から補償を受ける権利を彼女たちから奪い去った、越権行為ではなかったか。誠意と正義感からはじまった「挺対協」の運動は、いつのまにかかつて国家によって被害をこうむった人にとを「国家」にかわって統制する行為となり、「個人」の意志をいまひとたび抑圧したのではなかったか。(中略)「挺体協」関係者が金を受領した人々をさして、「罪を認めない同情金を受け取れば、被害者はみずから志願して赴いた公娼になる」(尹貞玉の発言)と非難したことは、「慰安婦」を支援する彼女たちにすら、「慰安婦」に対する偏見があったことを示すものだ。(P108)

 

まさに、著者の指摘するとおり、これは元「慰安婦」のおばあさんたちを完全に侮辱した行為だったといえるだろう。真におばあさんたちに寄り添うのであれば、当事者であるおばあさんたちが最も満足できる方法をとるのが、最も重要だったはずだ。

 

韓国の中の責任

では、挺体協や韓国政府がそのような行為に出た原因は何だったのか。

これに対して著者は、韓国内に根付く日本への不信感を原因として挙げている。

そして、特に挺体協による、日本政府の責任回避のための基金に決まっているという固執した態度と誤解が日韓間の問題解決に寄与するばかりか、解決をより困難にしていると著者は述べる。

 

さらに、韓国は潔白であり常に被害者であると考える韓国人が多いが、著者は韓国内の問題として当時の朝鮮人にも責任があるという。それは、慰安所に娘を売った大人たちであり、また、それを止めようともしなかった周囲の朝鮮人たちを意味する。

 

元慰安婦の証言からも明らかなように、当時は朝鮮でも娘の身売りはよくあったことであり、様々な理由から娘が売られた。つまり、家父長制によって女性自身による行動選択が男性に比して制限されている状況において、売った側の朝鮮人、傍観した朝鮮人、そして慰安所を利用した朝鮮人兵士にも責任があるということだ。

 

さらに、韓国には「純真無垢な少女が強制的に連れていかれた」という認識が非常に広く行き渡っており、そうした単一的な認識および被害者意識が、実際は多様なケースがあったにも関わらず、当時の朝鮮人女性がどのような経緯で慰安婦になったのか、そして実際の生活や人生はどのようなものだったのかという慰安婦の実像を理解することを妨げていると著者は分析する。

 

この韓国の責任という論点について、著者は以下のようにまとめている。

「強制的に引っ張られて行き」「性奴隷」として過ごしたとのパターン化した「慰安婦」イメージは、韓国に異なる「慰安婦」像を許容しはしない。(中略)周知のように、「慰安婦」問題は、「民族」の問題であるばかりか本質においては「性」の問題であり、「階級」の問題である。現在の日本人が、「日本」人の子孫であるがゆえに彼女たちの不幸に対して責任があるとするなら、当時貧しい彼女たちを「慰安婦」に送り出し、学校や結婚に逃避した結果、貞淑な女性として残ることができた有産階級の子孫であり、朝鮮人募集策に関わった者たちの子孫であり、彼女たちを蹂躙した朝鮮人男性の子孫である韓国人にも、責任がなかろうはずがない。(P123~124)

 

韓国の中の加害性

次に韓国の中の加害性についてだ。

「内鮮一体」のスローガンにもかかわらず、当時の朝鮮人はやはり「臣民」ではなく、真の意味での「臣民」になるために、日本統治に協力し、行く先々で中国人を差別した朝鮮人もいた。著者はそうした歴史的事実を念頭に、加害者と被害者を民族で区分することについて以下のように批判する。

 

民族というものさしで加害者と被害者を画一的に区分することは、そのものさしに含まれない、また別の被害者と加害者を隠蔽する。さらに、民族内部の加害者と被害者の関係を正確にみることを妨げる。(P134)

 

著者がこのように批判する理由は、日本人女性にも慰安婦が多くいたが日本の加害性から日本人慰安婦は問題とされないこと、そして、朝鮮戦争時、米軍部隊周辺に米兵を相手とする慰安所を作った事実はどう説明するのかという問題があるからだ。つまり、米兵相手の慰安所を設置し、政府も公認していた事実は無視して日本だけを責めることが果たしてできるのか?ということだ。

 

また、強制性を否定することは韓国ではタブーだが、それはまさに、売春婦や公娼に対する蔑視が韓国内にあるからだ。そして、韓国内の米軍基地周辺の慰安所は国家が管理している点において、慰安婦と公娼は変わらないと主張した韓国人教授が猛烈な非難を浴びる。しかし、米兵用の慰安所と日本軍慰安所の構造はさして変わらず、そこにおいて、日本と韓国は無意識の共犯関係にある(P137)。

 

さいごに

慰安婦問題は複合的構造を有しているがゆえに、責任の主体を何かに擦り付けることは、それ以外を免罪することになるし、「『政府』と『国家』の補償ばかり主張する声は、そのような複合的な構造を覆い隠す」(P144)と著者は述べる。

 

また、日本政府の対応はやはり十分とは言えないし、より良い方策があっただろうとしながらも、慰安婦問題が日韓請求権協定締結時に「問題化」していなかったため補償を請求する権利があるという主張に対して、そうした主張を封殺していた韓国内の差別意識にも原因があり、忘れてはならないとも著者は述べる。(P146)

 

 

読書感想

この問題は本書では80ページぐらいなんだけど、文字数がすごい多くなってしまった。反省。

私は全くもってフェミニストとかではないけど、著者の主張は興味深くて、ついついたくさん引用してしまった。

アジア女性基金についてだけど、①政策としてのそもそもの限界、②日本政府の広報の下手さの2つが主な失敗要因だと考えている。

①については、スーパー圧力支援団体の挺体協が支援を主導している時点で、韓国内の世論が硬直化かつ言説が再生産されてしまって、そのせいでそもそも基金が有効に作用する余地がなかったと思うんだよね。

だって、ファクトを確認しようとしないし、こういう奴らに限って声でかいし、脳ミソが単細胞だし。当事者である元慰安婦のおばあさんたちの求めることが一番大切なはずなのに、無視するわ脅すわだし。最初は確かにまっとうな気持ちで支援を開始したかもしれないけど、こういう単細胞集団が絶対正義化して、一方的な立場からしか問題を見ないから余計に問題がややこしくなったし、害悪でしかないと思うんだよね。思考回路がアベノセイダーズと全く同じだよほんとに。

極めつけは、挺体協の奴らが慰安婦問題を利用して甘い汁を吸っているから、この問題の解決は挺体協の人たちの食い扶持を無くすことになるし、解決しないと思うんだよね。

 

ちょっと挺体協に対する愚痴が過ぎたけど、日本の国内政治的な側面から見たら、この問題を完全に収められたチャンスは1995年前後だったと思うし、ここで失敗したから、日本政府としても万策尽きた感(2015年に日韓合意するけど)、国民の中では「これ以上何求めるんだよ」感が強まって、嫌韓にもつながったと思うんだよね。

 

他方で、②については、現在もそうだけど、日本政府って本当に広報が下手だと思うんだよね。だから、もっと効果的な広報の仕方はあったと思う。それこそ、テレビ討論みたいな場に積極的に出て説明するとか、韓国国内の誤解に対して日本政府が如何に誠実に取り組んでいるかを、一つ一つ反論っぽい形で粘り強く説明するとか。

 

ともあれ、朴裕河氏の本は偏っていなくて、かつ視点がおもしろいです。さらに付け加えるなら、読者に考える余地を与えてくれるというか。

 

1冊の本の中の1章分なのにコンパクトにまとめられなかった点が少し悔やまれますが、第2章、本当におもしろかったです。そして、非常に勉強になりました!

 

超おすすめ。

 

和解のために-教科書・慰安婦・靖国・独島 (平凡社ライブラリー740)

和解のために-教科書・慰安婦・靖国・独島 (平凡社ライブラリー740)

  • 作者:朴 裕河
  • 発売日: 2011/07/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

第3冊目:日本統治下の朝鮮

 

 

第3冊目は『日本統治下の朝鮮―統計と実証研究は何を語るか―』(木村光彦著)

 

 はじめに

 本書は、青山学院大学教授で経済学者である著者が、収奪一辺倒だったと語られることが多い日本統治下の朝鮮半島について、様々なデータや資料を用いて、統治期の朝鮮の姿を説明しようという目的で書かれた本だ。

つまり、善・悪という議論ではなく統計から見た場合の朝鮮の姿を説明しようという試みである。

※当時の日本の方が朝鮮より進んでいたから良い・凄いということを著者が言いたいわけではないことを念のために付言しておく。

 

本書の構成

第1章で併合当時の状況を概説し、第2章では近代産業がどのように発展したかについて、「非農業への急速な移行」過程を見ながら説明している。そして第3章では、実際に朝鮮人は収奪によって「貧困化」したか否かについて、個人消費、平均身長の変化等を基に分析している。第4章では、「戦時経済の急展開」として、総力戦期における軍需工業化や戦争経済について述べている。第5章では、終戦に伴い放棄された日本資産がどのように継承されたかについて記述し、終章で「朝鮮統治から日本は何を得たのか」について述べている。

 

 

 1910年の朝鮮の状況

日本による併合当時の朝鮮は人口が1500万~1600万人。

1910年の総督府統計では、朝鮮の全戸口の80%を農業戸口が占めた。(中略)日本では1870年代初期、全有業人口にたいする農林業人口比は70%程度であり、前記データは、併合当時の朝鮮経済が日本の明治初期以上に農業に依存していたことを示唆する。(P6-7)

ということで、当時の朝鮮は経済構造において農業依存率が非常に高かったことがわかる。

 

 

悪名高き土地調査事業

さらに、当時の朝鮮は土地の所有権があいまいだったから、租税徴収もお粗末な状況だった。そこで総督府は、土地の所有権を確定させることによって地税の徴収を行えるようにすることを目的として、「土地調査事業」を開始する。これは、総督府の財政を自立させるために最優先で取り組まなければならなかった。

 

この土地調査事業は韓国では悪名高い事業だ。なぜなら、本事業の過程で多くの農民が土地を失い小作農に転落したと言われているからだ。それに対して著者は、李榮薫(『反日種族主義』の著者)の研究を引用しながら、以下のように述べている。

しかし、近年の研究は、農民多数が土地を喪失したという事実はなく、この主張が誤りであることを明らかにしている(李榮薫『大韓民国の物語』79-85頁)。

土地調査は、私有財産制度のもとで経済成長を図ろうとすれば、どのような政府にとっても必須の事業である。総督府が多大な費用と時間をかけてこれを遂行したことは、評価しなければならない。(P41)

 そして、土地収奪が行われたかのように述べられることが多いが、実際は、

1920年頃でも、内地人地主の所有田は、全朝鮮の田面積のせいぜい一割にすぎない。(P50)

 ということであったらしい。ただし、本調査事業が終了したのは1918年なので、1920年よりもう少し後の内地人と朝鮮人の土地所有状況も見た方がよかったのでは、と個人的には思う。

 

非農業主体の経済へ

米の生産

非農業へ移る前に、総督府は農業生産の増大を図るために様々な政策を打ち出している。米の生産についていえば、土地生産性の上昇と作付面積の拡大を通じて、併合初期から比較して1937年には米の生産量が80%以上の増加を記録している。(P48)

 

工場数と規模

非農業への急速な移行の一つとして、実際に朝鮮人によって設立された工場数について見てみる。( )内は内地人工場数

1912年:94(204)

1932年:2502(2041)

 1939年:3919(2546)  (P83より)

このように、朝鮮人工場数の方が上回っていた。ただし、朝鮮人工場の規模で見た場合、従業員50人未満の零細工場が総工場数に占める割合は95.2%(内地人零細工場の場合は80.1%)であり、規模が大きい工場は内地人工場の方が多かったことは注意すべきである。

 

著者は、貨幣経済の進展と農業生産の継続的増大、そして中小企業の勃興による工業化の進展などを挙げながら、朝鮮の発展が比較経済史の観点から見て特異なものだったとし、以下のように述べている。

工業化の進展は、欧米の植民地にはない特異なものであった。特に本国にも存在しない巨大水力発電所やそれに依拠する大規模工場群の建設は、日本の朝鮮統治と欧米の植民地統治の違いを際立たせる。ここでとりわけ強調すべきは、産業発展に被統治者の朝鮮人が広く関与したことである。(中略)朝鮮人の側に、外部刺激にたいする前向きな反応、自発的な模倣・学習、さらには創発性・企業者精神が明瞭にみられた。驚異的な発展は、統治側・被統治側の双方の力が結合して起こったのである。(P85)

 つまり、農業生産額の継続的な増大と工場数の増加などは、内地人だけで達成し得るものではなく、虐げられていたといわれる朝鮮人も積極的に参加しなければ成し得ないことだったというわけだ。この点で、韓国でよく言われる収奪一辺倒の隷属論的な言説は実像を見ていないといえる。

 

「貧困化」説の検証

次に問題となるのが分配の問題である。すなわち、いくら経済が発展しようと発展の結果生み出された富が適切に分配されなければ、それは当時の朝鮮の実際の姿を映しているとはいえない。

韓国における「収奪一辺倒の統治」の言説により、「統治期の民衆は貧困にあえいでいた」というイメージが韓国にはある。そこで著者は、米の消費量と平均身長の変化等を年代ごとに分けて比較することで、実際の生活状況が悪化し、「貧困化」したのかどうか検証している。

 

食料消費量は激減したのか?

統治期を通じて米の生産は増大したが、内地に向けて移出されたので朝鮮人の米の消費量は増えることはなく、むしろ激減したと言われている。それに対し著者は、金洛年の研究(『植民地期朝鮮の国民経済計算 1910-1945』、P570、P222)を引用しながら、以下のように述べている。

一人当たり米消費量(単位/石)

1915-19年(0.589)

1930-33年(0.556)

1934-36年(0.511)

1937-40年(0.555)

このように、一人当たり米消費量は減少したとはいえ、その程度はわずかにすぎない。同じ研究によれば、1910~40年間、米と麦・雑穀・豆類を合計した全穀物の一人当たり消費量はやや減少傾向にあったが、これにイモ類、野菜類、肉・魚介類などをくわえると、一人当たりカロリー消費量はほとんど減少しなかった。(P93、数値は見やすいように筆者作成)

( ※カロリー消費量じゃなくて、摂取量の間違いなんじゃないかな...)

また、著者は個人消費から見ても「貧困化」は生じていないと主張する。

1910年代から30年代を通じ、個人消費総額(実質)は年平均3%以上の率で増加した。人口成長率はこれ以下であったから、一人あたり消費額は増加した。(P94)

ただし、著者は同時に、生活水準の量的変化だけでなく質にも留意すべきとも述べている。(経済学の効用の観点から)

 

身長からみる生活水準の変化

次に、著者は平均身長の変化から「貧困化」したか否かを検証している。なぜ身長かというと、同一の集団内で平均身長に世代間格差があれば、それはつまり、その差が生活水準の変化を意味するからだ。換言すれば、ある世代の平均身長が下がっていれば、その世代の成長期において生活水準が悪化したことを意味する。では、統治期の朝鮮ではどうであったか。

各データから判明するのは、階層間、地域間で身長に差があったこと、反面、時期、世代による明瞭な差はなかった。(P103)

著者は身長に関する様々なデータを比較・分析しながら、このように主張している。

そして別の研究を用いながら、以下のように結論づけている。

日本統治期を通じた朝鮮人平均身長の全般的低下は確認されていない。(朱益鍾「植民地期朝鮮人の生活水準」P340)(P105)

 

このように、身長に基づいて生活水準の変化を考察した場合、時期と世代間で平均身長に差がないので、飢餓に置かれるような貧困状況だったとはいえない。つまり、統治期において朝鮮人が収奪に苦しみ「貧困化」したという主張は、実際の統計に基づいていないということだ。

 

 戦時経済の急展開

日本統治期の朝鮮を平時と戦時を分けずに見ることは、平時と戦時で状況が全く違うのでナンセンスだ。

内地で総力戦体制が構築されるのに伴い、戦時期(日中戦争開始以降)は朝鮮でも総力戦体制への移行を余儀なくされた。

総督府の指示の下で生産活動における徹底した効率化と一元化・組織化があらゆる分野で進められたが、農業について言えば、労働意欲の低下や資材不足により農業生産は大きく低下した。

 同時に、工業統制と労務統制が行われ、朝鮮半島は戦時体制が整えられていく。そして総力戦期に突入するにしたがい、朝鮮における産業構造は軍需工業化されていく。

 

この時期、北朝鮮地域には良質な石炭・鉄鉱石、希少金属等の地下資源が存在したことから、特に北朝鮮地域で鉱工業などの重化学工業が発展する。大量の資本投入と新規労働投入により産業発展が成されたが、結局、資材不足等により増産は困難となる。

 

戦争遂行に不可欠な資源が多く眠っており、それを活用する必要性から、朝鮮半島は総力戦の遂行過程において不可欠な領域となったと著者は述べている。(P163)

 

北朝鮮に多く残された遺産

著者は第5章で南北の工業化の違いに関し、電力消費量に基づく44年時点の南北地域比較を行っており、差が顕著でおもしろかったので、以下引用する。( )内は筆者が追記。

(産業別電力消費量の)90%は北朝鮮で消費されている。そのうち化学工業が80%を占めた。南が北より多かった部門は、紡績工業、機械器具工業、食料品工業である。しかしこれら三部門の消費量を合計しても、北の金属工業一部門に及ばない。このように北朝鮮は重化学工業で南朝鮮を完全に圧倒していた。(P175)

朝鮮半島では米軍の空爆がなかったので、多くの産業遺産は無傷のまま残った。現在の南北の経済発展の差からは隔世の感があるが、当時はこのぐらい、南北で工業化の地域格差が激しかった。

 

終章

政府負担は大きかったか

巷ではよく、莫大な投資を行って朝鮮を統治したと言われるが、実際はどうだったのか。これについて著者は、以下のように述べている。( )は筆者が追記

日本政府の一般会計歳出総額に占める総督府特別会計(=朝鮮統治の一費用)の割合を確認すると、1910年代前半が3.5%と最高で、その後は、20年代・2%、30年代後半・0.4%と低下する。このように、日本政府にとって朝鮮統治の財政負担割合は、後期にはとるに足りない値になった。(P200)

 このように全体との比較で見れば、一般会計歳出総額に占める朝鮮統治コストはイメージされているよりも大きくないことがわかる。

 

そして著者は、日本の朝鮮統治におけるコストについて以下のように結論づけている。

総合的に見れば、日本は朝鮮を、比較的低コストで巧みに統治したといえよう。巧みに、というのは、治安の維持に成功するとともに経済成長(近代化と言い換えてもよい)を促進したからである。(P202)

 

感想

本書を読んだ感想としては、改めて統計データから見たものと今まで漠然と持っていたイメージの違いの大きさかな。

例えば、「産米増殖計画*1によって半島で米を大量増産して、日本に移出させた!日本は朝鮮半島を食糧庫として利用して朝鮮人のことを搾取した!」という主張もあるけど、実際の米の消費量を見てみると必ずしもそういうわけではなかったこととか。(このあたりの収奪の有無に関する議論については、韓国語の書籍も紹介・使用しながら、詳細に比較した記事を書いてみたいと思っている)

 

あと、収奪の有無について、平均身長から見たのはおもしろかった。もしかしたら有名な考察方法なのかもしれないけど、私は知らなかったからこれは勉強になった。確かに収奪一辺倒だと栄養状態が悪くなって必然的に平均身長が下がるはずだもんね。

 

ちなみに著者は曰く、欧米の史学界では、身長の変化を見ることで当時の生活水準の時代的変化を分析する方法が盛んに行われているらしい。(P97)

 

韓国(人)との議論でこのような話になって、もし「収奪一辺倒で塗炭の苦しみを味わった!搾取だった!」というような主張がなされた際には、「日韓併合によって朝鮮は近代化できた→これは良いことだった」と言うのではなくて、あくまで、「日韓併合の是非は一先ず脇に置いといて、一般論としてこのような変化がありましたよ、これは事実ですよね」っていうところで議論してみてはどうだろうか。とも思った。

事実から乖離して誇張された歴史認識が広がることになることは看過できないからね。(ただ、このように言うと大抵、肯定するのか!反省していないのか!って言われるのが関の山なので難しい...)

 

それでも、本書のように統計に基づいてしっかり実証しようという姿勢は非常に大切だと思うし、こうした検証は継続されていくことを願う。

 

日韓共にイメージで語りがちな日本統治期の朝鮮半島だけど、本書はそういったイメージを持っている人にこそ読んでほしい一冊!(ただ、各産業別にどこの地域でどの企業がいくら投資をしたっていう話が結構長く続いた(第4章)箇所は疲れました正直(笑)。それと新書だからある程度はしょうがないけど、議論を提起したかと思えば、「詳細は論じない」っていうような論点もあったのが、少し残念。そこに踏み込んでほしいのに!というモヤモヤは正直拭えない。

 

が、全体的には勉強になるしおもしろかったです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:1920年に総督府が制令として出した計画で、朝鮮半島における米需要に備え、農家の経済向上と内地の食糧問題解決を目的とした計画

第2冊目:朝鮮半島をどう見るか

 

 

第2冊目は『朝鮮半島をどう見るか』(木村幹著

 

本書の概要

 

本書は、そのタイトルどおり「朝鮮半島をどう見るか」ということについて、ステレオタイプを捨てて見てみようと述べている。そして、研究室を訪ねてきた学生の質問に対して事例を交えながら答える形で論が展開されている。

 

では、「なぜステレオタイプを捨てて見てみよう」と主張するのかというと、人々はなぜか朝鮮半島について語る時には、他の国について語る時のように「普通」に語ることができず、何らかのステレオタイプに依拠して語ってしまうことが往々にしてあるからだ。

 

したがって、本書の目的は「朝鮮半島やそこにある二つの国や人々を、世界のほかの地域やそこにある国国(ママ)や人々と同じようにとらえ直す」(P182)ことだ

そのためには、基礎的なデータを確認すること、そして間違った前提があったなら、それを修正して常識を疑うこと、同じデータから違う結論が出たなら、その違いはなぜ生まれるのか、論理の飛躍はないのか、そもそも議論がかみ合っているのかを考えることが大切であると。(P150~152)

 

事例の展開

上記の目的を達成するために、各論点に分けて論が展開されていく。

まず、朝鮮半島を見る際のスタンスを否定的立場〈朝鮮半島の二つの国は問題だらけ、感情優先で非合理的で常に警戒の対象〉と肯定的立場〈隣国だから市民の交流が大切で、そうした交流を続けることで相互理解が進んで新しい関係が作れる〉に分けて、それぞれが持つ危うさについて述べている。どちらも正確には朝鮮半島を捉えられていないと。ちなみに、朝鮮半島研究者でさえもステレオタイプに毒されていて、自身が持つ枠に当てはめて考えてしまっているために、日本の朝鮮半島研究は時代遅れになってきているとも。

 

朝鮮半島の人は民族意識が強いか?

で、事例に話を戻すと、例えば、〈朝鮮半島の人々は「強い民族意識」を持っているか〉という命題について考えてみよう。デモに積極的に参加する韓国人のイメージが思い浮かぶかもしれない。でも、これも筆者からすれば正確ではないらしい。なぜなら、その見た目の激しさに比して、「ほとんどの場合、朝鮮半島の民族運動はその「激しさ」にもかかわらず、それが本来求めたはずの目立った成果を獲得できていない」(P84)からだ。そしてこれは、日本の統治期における朝鮮半島と台湾における抵抗運動のデータからもわかる。さらに筆者は、多くの人が民族意識を持っているからこそ運動のピークには盛り上がって、それが「激しさ」や「強さ」として他者には映るが、実は民族意識と共に「小国意識(注:小国の我々は結局大国に逆らって達成することができない。。。というような意識)」も同居しているために、敵側に甚大な被害与えるに至らず運動が終わることが多い、と述べている(第4演習)。(通貨危機の時の運動を例に)

「植民地支配」についての論争 

また、このステレオタイプっていうのは厄介で、日本統治期についての論争にも大きな影響を与えていると筆者は述べている。

筆者は、日本統治期を肯定的に見るか否定的に見るかってずっと続く大論争だけど、そもそも「良い」、「悪い」で論争することが間違っていると述べている。

換言するなら、経済発展の根拠にした「日本統治はいいこともした」という肯定派の主張も、朝鮮人の経済的困窮を根拠にした「日本統治が誤りだった」という否定派の主張も、どちらも経済的状況にのみ依拠して論じているけど、そもそもそんなに単純に「良い」・「悪い」の判断を下せるものじゃないと(第5演習)。

 

例えば、他国の植民地経営はどうだったのか、日本のみが収奪一辺倒だったのか、戦時体制での動員が本当に他国に類例を見ない常軌を逸したものだったのかということも、その他同時期の例と比較することで実際の姿が見えてくる。ただ、同じデータ(統治期の産米増殖計画による米の生産高と消費量の年代比較)を用いても結論が異なっているのが、まさにこの論争の姿だといえる。

それについて筆者は、「彼らは自らの『命題』を証明できないデータを持ってきて、あたかもそれが証明されたかのようなふりをしている」(P113)と主張している。

 

さらに、植民地支配について論争は避けて通れないのではないか?という学生の質問に対して筆者は、真剣に議論しているように見えるが、互いに「朝鮮半島における植民地支配をめぐる様々な事実さえ、詳細に検討することなく、勝手な思い込み議論しているからだ。日本の朝鮮半島支配の『特殊性』や、さらには日本が『良いこともした』のか、『悪いことをした』のかという結論が、考察の以前に決まっていることが、問題なのだ」(P121)と述べている。

 

日韓関係がこじれた理由

次の事例として筆者は、〈日韓関係がなぜここまでこじれたのか〉について説明している。

欧米の例を見ていると、旧宗主国側は特に旧植民地国に謝罪・補償をきちんと行ったとは言い難いのに、なぜ日韓はここまでこじれるのだろうか。

筆者はこの問に対して、支配側と被支配側の間で互いに敵意を向ける必要がなくなったと認識するための「和解の儀式」がなかったことが原因だと述べている(第6演習)。つまり、日本の敗戦によって突然訪れた「解放」によって、被支配者側(朝鮮)が支配者側(日本)に独立を認めさせるプロセスがなかった、自分たちで勝ち取った独立ではないからだ。

 

また、筆者は、現代の人々にとっては過去の出来事であるために現在の問題としての認識がない。そして自分の生活との関係でその必要性を実感せず、議論が尽くされないならば、互いがいくら未来志向的な声明、賠償、謝罪などを行っても意味がないとしながら、「重要なのは、日韓の間で『共通の歴史認識』が作られることではなく、『これ以上の議論の蒸し返しは無駄だからやめるべきだ』という共通認識が作られること」(P138)だとも述べている。

当時で言えば、このボタンの掛け違いを直す機会が日韓国交正常化だったが、この機会も活かすことができず、棚上げしたために、現在に至っていると。

 

この後、最後の事例として北朝鮮についての考察の章があるんだけど、自分で考察しようというスタンス(詳細な分析がなされているけどね!)なので、割愛。

 

感想 

ここまで読んだ感想としてまず挙げられるのが、「自分はステレオタイプなんて持たずに朝鮮半島を見ている!」と少しだけど考えていたのが、ステレオタイプに支配されてたってこと(笑)

色んなデータがあるのに、そこからしっかりと分析せずに論じていることが特に朝鮮半島については多いなぁというのは本当に痛感した。「●●なイメージあるよねぇ」と言いつつ、そのイメージを一次資料から実証する大切さを学んだなと。

 

議論をするときの前提理解の重要性

それに、特に日本統治期については、経済発展と善悪がごちゃまぜになって議論されているというのは本当にそう思っていて、これが余計にかみ合わなくなっている理由なんだと思う。

例えば、日韓で議論を重ねても、結局、「溝を埋めることができませんでした~」ってことは政府、学者、その辺の学生から居酒屋の政治談議に至るまで溢れていると思うんだけど、そもそも、その議論において「双方が何に重きを置いているか」を日韓ともに共有しないまま議論するから毎度毎度こういうことになるんだと思うんだよね。日本はファクトを重視するのに対して、韓国は「こうあるべきだった」という視点が強い(韓国語ではよく「正しい○○」という表現がなされる)。で、日韓の歴史認識を巡る議論がなぜ噛み合わないかの一つの答えとして、どこかで見かけた言葉を借りると「ソフトウェアのOSの違い」が挙げられると思うんだよね。

 

マックとマイクロソフトは互換性がないから、一方のソフトを使用しようとしたら互換性がなくて使用できないよね。まさに、日韓の歴史認識の議論ってこの段階だと思っていて、私たちがマックとマイクロソフトのツールに互換性がないことを常識として理解しているように、まずは、日本人と韓国人のOSが違うこと、つまり、「前提が違う」ということを理解することから始めるべきだと思う。言い換えるなら、お互いが「理解できない相手であることを理解する」ことが重要だと思うんだ。

アジア人で見た目も似ていることが多いから、相手に理解してもらえると頭の片隅でなまじ期待しているところがあると思うんだよね。

 

さいごに

様々な論点があって、こと朝鮮半島については議論が熱くなりがちで、論点もごちゃまぜになりがちだと思うんだけど、この本はそうした肯定派/否定派のどちらかに立つということではなくて、もう少し前提から見直して考えましょうよ、ということを提起していて、非常に勉強になりました。2004年に初版が出版されている本だけど、2020年の今でも当てはまるから、おススメです。朝鮮半島というテーマだけでなく、「何か物事を分析する際のマインドセットがどうあるべきか」について、示唆に富む良書だと思います!!ちなみにページ数も本論は180ページ程度で、筆致も軽快だからすらすら読めます。気付いたら読み終えていました。

 

本当におもしろかった。

 

 

 

 

朝鮮半島をどう見るか (集英社新書)

朝鮮半島をどう見るか (集英社新書)

  • 作者:木村 幹
  • 発売日: 2004/05/14
  • メディア: 新書
 

 

 

第1冊目:新・韓国現代史

第1冊目は『新・韓国現代史』(文京洙著)

 

[本の概要]

本書は、東アジアが近代化する前の華夷秩序に包摂されていた時期の日本と朝鮮、それぞれの対外認識がどのような認識だったかを概観し、「解放」、信託統治期、そして独立後の韓国がどういった歴史を歩んだかについて記している。

 

具体的には、日本統治期について軽く触れた後、「解放」および信託統治期、李承晩時代、朴正煕時代、そして民主化を経て金融危機を契機としたグローバル化の波に国内的にどのように対処してきたか、そして国内政治力学がどのように働いたかについて、朴槿恵政権まで記述されている。政治・経済を軸に現代史を扱った新書ゆえに、基本的な事件や出来事が網羅的に記述されているので、入門として読むに適した本だと思いますです。(すごいイキって偉そうなこと言ってる。。。)

 

[感想] 

本書を読んだ感想としては、日本が様々な問題を抱えながらも平和な状況で経済発展を謳歌していた最中に、隣国・韓国では、政治家側から見れば「如何にして国家としての自立を保つか/経済発展を達成するか」、国民側から見れば「如何にして民主主義を獲得するか」について、血なまぐさい事件や様々な犠牲を払いながら、熾烈な闘いが繰り広げられていたんだなぁという感想を抱くと共に、半島国家ってやっぱり大国に挟まれるがゆえに大国の影響が非常に強いなぁと。これはやっぱり日出ずる島国・日本とは比較にならないほど影響を受けているなぁという印象。感想の圧倒的小並感が辛い。あとは、韓国人の積極的な政治参加はやっぱり苦労して民主主義を手に入れたからなんかなぁとかも思ったり。(自己主張の強い国民性というのも関係があるとは思うけど。)

 

[おすすめする理由]

本書の著者のスタンスは進歩派だと考えられるので(この分類が果たして意味のある分類か否かは大いに議論の余地があると思うんだけど)、韓国の政治問題についても、民衆運動の力や、労働問題などに記述の比重を置いている感は、正直、ある。

ただ、日本で接する韓国に関する情報は表面的な情報(例えばワイドショー、トンデモ本、ネットetc)が非常に多いので、そういった情報に触れて時間を空費するぐらいなら、一度、こういった入門的な形の本を手に取って、韓国史についての理解を深めてはいかがでしょうかと偉そうなことを再び述べる次第であります。批判をするにしても、まずはどういった過程を経て今の韓国があるのかを、現代史を扱った本から学ぶのは価値があると思うんだよね。

 

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(ここまでが本の紹介と感想になっていて、ここからは完全なる自己満足駄文羅列パレードとなりますので、時間を持て余しまくっていてもう暇で暇でしょうがない人は読んでいただけると嬉しいです(そもそも読んでる人いなさそうだけど))

 

[チンパンのつぶやき]

 

[「解放」と信託統治、李承晩政権期]

 朝鮮半島に突然降ってきた「解放」によって、誰が今後の統治者になるかを巡る権力闘争および大国同士のせめぎ合いの時期国家存立のために独裁しちゃった時期

 

大日本帝国がポツダム宣言を受諾した結果、突然空から降ってきた「解放」。が、ゆえに筆者は、「解放を主導的に迎えた独立運動の指導者はほとんどいなかった」と述べている。(P33)

まぁ実際、ハバロフスクにいた金日成が朝鮮半島に到着したのは9月19日、アメリカに亡命していた(なんと31年間も)李承晩が米国政府の許可を得て米軍機で半島に戻るのは10月16日だったしね。

 この二人以外にも、大韓民国臨時政府トップの金九、民族主義者の朴憲永、平南人民政治委員会の曺晩植、総督府から権限を委譲された呂運亨など、たくさんの運動者がせめぎ合いながら、米ソの思惑が交錯した時代。

やっぱり韓国人は自分たちの統一国家を樹立したかったんだけど、米ソ2大国の影響力はやっぱり凄まじかった。。。

 

ご存じのとおり連合国側は第二次大戦中から戦後世界構想について色々勝手に決めていたんだよね。それが、信託統治。カイロ宣言(43年12月)にある「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、やがて(in due course)朝鮮を自由かつ独立の国たらしめる」という文言の具体案として、45年12月の米英ソ三国外相会議(モスクワ会議)で確定たのが信託統治の構想(元はルーズベルトの発案)。中身としては、朝鮮人自身による統一的な臨時政府の樹立と米英中ソの四大国による5年間の後見制というもの(P44)。ただ、この構想の発案者であるルーズベルトが45年4月に死去したことで、米ソ協調の考えが一気に後退したと筆者は主張している。まぁ実際、その後の米国はソ連の南下をいかに阻止するかに神経を尖らせていたし、ソ連はソ連で北朝鮮地域での親ソ政権樹立が目標だったしね。

 

で、モスクワ会議の結果を受けて、一応この枠組みの中で何とかしようとするんだけど、南北で米ソがそれぞれ影響力を行使していった結果、北は金日成、南は李承晩という感じで固まってくる。そして、米ソの共同委員会が決裂して、もう無理だ!ってことでアメリカが朝鮮問題を国連に委ねた結果、半島での統一選挙をしようってなったけど、北が反対して、南だけで選挙することになって李承晩が当選。大韓民国建国(48年)。だから北も、朝鮮民主主義人民共和国を建国。

こうした中でも、李承晩は北に侵攻して統一〈北進統一〉、金日成も赤化統一したかったし、何とかしてでも半島を統一したいっていう考えを持ってたことは、頭の片隅に置いておくべきだなって思う。

 

(朝鮮戦争は別記事でいいと思うので割愛)

 

李承晩についてなんだけど、めちゃくちゃやりたい放題するんだよね。例えば、国会で少数与党になっちゃったからって、警察動員して野党議員拘束したり、戒厳令を敷いて反対派議員を脅迫・連行・テロしたり(釜山政治波動)(P71)、三選禁止規定を撤廃するための改憲において、議員定数の3分の2に一票差で足りなかったのに、四捨五入したら要件を満たしている!って屁理屈こねて改憲したり(四捨五入改憲)(P72)、ほんともうやりたい放題。ま、最後は60年の「四・一九革命」で学生デモが発展した結果、ハワイに亡命、そこで客死。でも、私的には、あの極貧の中、韓国を維持したという点でも李承晩はやっぱりよくやったと思う。

 

李承晩は建国の父と言われているけど、その陰では数多くの犠牲があったことは確かだから、評価は分かれるんだけど、やっぱり、唯一の超大国アメリカの庇護の下で如何に国家の生存を維持するかって考えたら、国際政治学者であり国際感覚に優れていた李承晩以外には考えられなかったんじゃないかなぁと思うんだよね。

 

その後の朴正煕政権についても評価が分かれるよね。例えば李承晩政権時代の59年の国民一人あたりのGNPは82ドルだったのが、79年には1640ドルと20年で約20倍に成長させているのを見ると、やっぱり現在の韓国を形づくったといえると思うんだよね。66年から72年に導入された外資は40億ドル(P101)もあるから、もちろん、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長には莫大な対外投資が欠かせなかったけど。

 

ただ、朴正煕が財閥にばっか予算を向けたせいで、現在にまで至る財閥支配という韓国のいびつな経済構造が出来上がったんだけど、やっぱり進歩派からするとこれは看過できないんだろうなぁ。

 

ちょっと現代史について思ったことを書こうと思ったらやっぱり量的にもヘビー過ぎるものになりそうだったので、朴でストップします。次からはもうちょっと論点分けます。

 

[さいごに]

  

筆者は、「何よりも朝鮮人にとって不幸だったのは戦争が長引いたことがソ連の参戦を招き、そのことが朝鮮半島の分割占領、ひいては朝鮮の南北分断につながったということであろう」と述べている。(P31)

 

これはまじでそう思う。

 

 

新・韓国現代史 (岩波新書)

新・韓国現代史 (岩波新書)

  • 作者:文 京洙
  • 発売日: 2015/12/26
  • メディア: 新書
 

 

 

第0冊目

あ、どうも、初めまして。Chimpanzee the 38 Parallelと申します。

 

初記事。とはいえ今回はブログの趣旨についての説明に留めます。

 

このブログでは基本的に、読んだ本についての要約/紹介、読後に感じたこと、本に対する自説の展開等を行おうと思っています。本を読んだだけだと、どうしても頭に定着しにくいというか、アウトプットしてこそ知識は定着すると思うので、軽い気持ちでアウトプットできて且つ人に見てもらえてコメントとかも貰えたらいいなぐらいの場として活用するために始めました。

ちなみに、前以って言っておくと、私が関心を持っている朝鮮半島についての本(特に韓国政治・歴史)、国際関係についての内容が多くなると思います。全くの素人ですが。

小説についても少しは書いていきたいと思います。

 

何か独創的でおもしろいことを題材としたブログでもなければ、短編小説のような記事を書くこともありません(というか書けない)。感動的な話を書くことも、限りなくゼロに近いです。とりあえず硬いです(が、実際の中の人はお調子者です)。

 

まぁ頭を整理する目的で書いているので、そんな感じです。

でも、批判、反対意見、「同じ本読んだことあるよ!」というコメントは大好きです。それこそが一番の勉強になるので。知識もなければ視野も狭いので、自説を展開したときには批判コメントをいただけると非常に嬉しいです。議論も好きなので、そういうコメントを頂いた際は、PC画面の前でほくそ笑んでいると思います。

 

読書感想という題材の性質上、頻繁に更新するわけではないですが、継続的に書いていけたらなぁぐらいで考えています。

 

よろしくお願いしまーす。